当医院の歴史展示ホールは、元々、中正楼の22階にありましたが、開放空間ではなかったため、展示スペース観覧のしやすさや、歴史背景なども考慮して、介寿堂1階にあった約50坪の会議室スペースを改装し、2017年1月9日にリニューアルオープンしました。マルチメディアを駆使した活発で開放的な展示空間で、訪れた人が気軽に当医院の歴史を知ることができます。
各テーマエリアの概略説明:
1当医院の概要と展望
当医院は1959年11月1日に成立しました。中正楼・思源楼・外来診察ビル・致徳楼・神経再生センター・身障センター・動力センターなどがその主な建物です。成立当初のベッド数は600床、医療サービスの対象者も台湾在住の退役軍人に限られていました。その後、次第にそのサービス範囲を公務員・労働者・農漁業従事者などの健康保険加入者および一般住民にも拡げ、今ではベッド数2932床、毎日の外来患者は約8000人に上り、6443名の職員が在籍しています。強固な医療チームを構成し、先進の医療設備によって、患者の各種疾病に対し、正確な診断と治療を行なっています。(2019年1月)
当医院は「親身になった医療ケア・卓越した追求力・倫理の尊重・法規と信義の遵守」をモットーに、顧客である患者さんを第一としたサービス理念をもって、医療技術の革新とサービスの品質向上に努めています。患者さんに全方位的な医療ケアを提供し、便利な医療環境と人に優しいサービスを行なっています。医療サービス・教育訓練・医学研究という三大ミッションの発展と成長を遂行し、国民のファーストチョイス病院として、国際的にも一流の病院となることを目指しています。当医院は国家レベルの公立医学センターとして、医療サービス・教育・研究という三つの任務を担っており、国家の医療政策に応じて国民の健康を守るために最善を尽くしています。本医院は、国の内外から数多くの賞を獲得しており、国際的にもトップクラス、かつ国民にとってファーストチョイスの医学センターです。当医院の目標は、患者さん本位の安全で質の高い医療を提供し、同時に国際的な医療の人材を育て、優れた先端医療研究の中心的存在として、活性化した管理による持続可能な経営を行なうことを目指しています。
2「北栄」の栄誉
表彰のトロフィーや盾は、優れた品質の象徴です。このコーナーでは当医院が全国規模あるいはそれ以上の規模の大会で獲得した各賞を紹介しています。柔らかな採光のガラスケースの中には、医療技術・医療サービスおよび経営管理などにより、これまでに国内外で受賞した際のトロフィーや盾、カップなどが陳列されています。展示の目玉となっているのは「国家バイオテクノロジー医療品質賞」で、この賞は「バイオテクノロジー医学領域のアカデミー賞」と呼ばれており、授賞の選考基準としては、金賞が国際レベルを超越しているもの、銀賞は国際レベルに到達しているもの、そして銅賞は国際レベルに近いものと定められており、台湾の生物医学における代表的な栄誉であり、また同時に、国際間で台湾のバイオメディカル産業を知らしめる重要な産業指標の一つとなっています。
3沿革
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1958年
台北市石牌地区に「行政院国軍退除役官兵就業輔導委員会台湾栄民総医院」が創設されました
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1982年
当医院の台中分院が成立しました
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1990年
当医院の高雄分院が成立しました
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2011年
「蘇澳及び員山栄民医院」が当医院の蘇澳及び員山分院となりました
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2012年
「桃園栄民医院」が当医院の桃園分院となりました
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2013年
玉里・鳯林・台東の3ヶ所の栄民医院がそれぞれ当医院の分院となりました
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2013年
「竹東栄民医院」が当医院の新竹分院となりました
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2019年
台北栄民総医院
1959
1949年中華民国中央政府が台湾に遷った後、政府の退役軍人(=栄誉国民<栄民>)およびその家族に対する福利厚生政策に基づき、1959年、台北市石牌地区に「行政院国軍退除役官兵就業輔導委員会台湾栄民総医院」が創設されました。
1963
当医院の名称を「行政院国軍退除役官兵就業輔導委員会栄民総医院」と改めました。
1966
当医院の名称を「行政院国軍退除役官兵輔導委員会栄民総医院」と改めました。
1982
当医院の台中分院が成立しました。
1988
台中分院が「台中栄民総医院」として独立し、これと共に、本院の名称を「行政院国軍退除役官兵輔導委員会台北栄民総医院(台北栄民総医院)」と改めました。
1990
当医院の高雄分院が成立しました。
1993
高雄分院が「高雄栄民総医院」として独立しました。
2011
「蘇澳及び員山栄民医院」が当医院の蘇澳及び員山分院となりました。
2012
「桃園栄民医院」が当医院の桃園分院となりました。
2013
「竹東栄民医院」が当医院の新竹分院となりました。
2013
玉里・鳯林・台東の3ヶ所の栄民医院がそれぞれ当医院の分院となりました。
2013
当医院の名称を「台北栄民総医院」と改めました。
4創設の三大功労者
蒋経国—病院建設を指示
1956年、当時の行政院国軍退役将兵就業輔導委員会・蔣経国主任委員が、栄民総医院建設のため、「最新の設備、優秀な医師、最高の医療、美しい環境、最高の管理」という五大努力目標を指示しました。
盧致德院長—病院の基礎を築き、開設の重責を果たす
蒋経国氏は「台湾栄民総医院」の設立準備に際し、国防医学院院長であった盧致德将軍を指名して国防医学院の30名近い各科専門家による「栄民総医院建設チーム」を組織させ、病院建設の準備作業を積極的に展開しました。盧致德院長は当医院創建の中心人物です。
鄒済動院長--管理を強化し、計画を推進
二代目の鄒済動院長は、その任期内に有能な人材を登用し、当医院は各方面において飛躍的な発展を遂げました。鄒院長は胸襟を開き、将来を見据えた計画を推進して、当医院を全国有数の医学センターに育て上げました。
5時空の回廊
医療人物誌
医療人物誌は、紙の目録や展示に替わり、デジタルのマルチメディアによって、歴代の院長や院内各部署・診療科の主管を紹介しています。
重要記事
重要記事のコーナーでは、大型タッチスクリーンで、昔懐かしい情景を再現、各時代における当医院の姿をご覧頂けます。
6国家首脳医療看護指定病院
当医院は創立以来、国家首脳の医療看護を担当し、蒋介石総統夫妻・嚴家淦総統夫妻、蒋経国総統夫妻・李登輝総統、陳水扁総統・李元簇副総統・蕭萬長副総統などへの医療や健康維持の任務を果たしてきました。
7優れた革新
当医院の三大任務である医療技術・医療サービスと医学研究の新たな成果を展示しています。実際に使用されていた医療設備を展示しているほか、スマートフォンのアプリによって展示品の詳細な情報も見ることができ、栄民総医院の作った世界記録や国内記録などの「医療と医学研究の技術革新」も体感できます。
8教育訓練
当医院は全国で最も早く医学研究部門を成立させた「教学病院(実習・教育機能を備える病院)」です。将来、専門医となる人材の育成の鍵となる優れた臨床教育により、当医院を始め、わが国の臨床教育の質向上を目指しています。
9国内外の救助活動
当医院は国内外における医療救援任務に深い使命感を抱いており、2008年の四川、2010年のハイチ、2015年のネパールなどでの地震災害時に医療救援活動を行ないました。また国内では1999年に発生した「921大地震」やSARSの発生時など、大きな事故・災害の発生時に医療を提供し、人道的支援や災害後の再建に貢献しています。
10ボランティア活動
当医院は社会公益活動にも積極的に参加・貢献しています。1970年のサウジアラビア支援、1979年のベトナム支援、2006年のパプアニューギニアのボランティア健診、2010年および2013年のタイ北部でのボランティア健診など、社会公益活動にいち早く参画し、支援を必要としている世界各地へ台湾からの関心や暖かい気持ちを届けています。
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